PROFILE プロフィール
HISTORY 中村 涼太の人生
痛みに対する価値観が変わった瞬間をご紹介します。
肺気胸をわずらった。
高校の評定平均は最大5のうち4.8。部活動では、先輩からレギュラーの座を勝ち取り活躍。「順風満帆」とも言える高校生活でしたが、「痛み」は突然やってきました。少し歩いただけで息が切れる。胸を刺すような痛みが急に起こる。違和感を感じて病院に行ったところ「肺気胸です。今すぐ入院してください」と言われたんです。
「肺気胸」とは、ストレスなどが原因で肺に穴が空く病気です。当時は受験期の10月。周りから「お前はいい大学に行くんだろ?」と言われる中、思うような成績が出せない日々が続いていて。そんなことを誰にも言えず、プレッシャーで自然と呼吸が浅くなるうちに肺に負荷がかかっていたんです。
病床で気付かされた。
「しっかりしなきゃいけない」私の心の底には常にそんな思いがありました。一家の長男として生まれたからには、単身赴任の父の代わりをしなくてはいけない。怪我をしても、チームを引っ張らなくてはいけない。そうやって生きてきた自分が、受験勉強がうまくいかずに情けない姿を見せるわけにはいかなかったのです。
入院中のある日、見舞いに来た母から大量にチョコレートをもらいました。それを一人、むさぼるように食べ終わったとき、気づいたんです。「今までなら、食べることを我慢できていた」と。「本当はもっと、自分に優しくしたかったんじゃないか」そう気づいた瞬間でした。「もう無理をするのはやめよう」と考えたのもそこから。肺気胸が、自分の中の張り詰めていた何かを緩めてくれた瞬間でした。
「痛み」を知った経験から、
志望校を変更し
理学療法士の道を進む。
後悔の先に出会った会社だった。
総合病院へ新卒入職して2年目のこと。ある日リハビリを担当したのは脳梗塞の手術直後のお客様でした。「少し息苦しそうだな…」そう察知した数日後患者さんは病変が悪化し、血栓症で亡くなってしまいました。患者さんの不調には気付いていたものの、それがどのような影響を体にもたらすのかを考慮できていなかったのです。「もうこんな思いはしない」。そんな矢先に飛び込んだのが、Therapist Infinityのセミナーでした。
当時受けたのは、内臓や栄養指導に関するセミナー。それまでに自分が受けたことのない内容に、「こんな角度から患者さんのサインを受け取れるのか」と新鮮に感じたんです。それに、代表・川西の「病気になってから対処するのではなく、なる前から健康を保つ」という当初の理念を知って。自分もそこに深く共感して、入社を決意しました。
VISION 自分のVISION
自分らしく
生きられる人生を
手に入れてもらいたい。